History (2) 1974-1981

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ここでは,おかもっちのヤマハネム音楽院時代からスペクトラム解散までの人生と音楽に関するあれこれを概観します。^^

Yamaha Nemu Music School --ヤマハネム音楽院時代--

Year Dates and Events Comments
1974 1974.4. ヤマハネム音楽院(東京・恵比寿)入学
東京・東横線沿線(菊名)で寮生活。
山本恭司と同室
講師陣には,渡辺貞夫,船山基紀(アレンジャー),萩田光雄(アレンジャー)らビッグ・ネームが名を連ねる。
ドラムの講師は,猪俣猛(実技系)と猪瀬雅治(基本系)
猪俣猛からはフレーズの課題を出して叩かせる実技系を,猪瀬雅治からはルーディメンツ等の基本系を主に教わる。
ヤマハネム音楽院のあったビルヤマハネム音楽院のあったビル
ヤマハネム音楽院…のあったビル!
以前ヤマハネム音楽院があった「スヤマビル」。現在は「ヒューマックス恵比寿ビル」 という名称に。(撮影: a2aさん(ありがとうございました♪))
マウスを置くと大きな画像が出てきます。^^ (ブラウザによっては出ないかも…。^^;

1974.8- 一念発起してドラムの猛練習開始。
「入学したら,皆ドラムを習ったことのあるような連中ばかりで自分だけが我流だったので下手だった。1年の夏休みに必死で練習して,そのあともスタジオに篭りまくって練習しまくったら伸びた。」(おかもっち談)

学校の発表で,山本恭司(このときはベースを担当),エレクトーンの女の子と一緒に,ボブ・ジェームズ(Bob James: ピアノ)の 『はげ山の一夜(Night On Bald Mountain)』(原曲はムソルグスキー(Moussorgsky)を演奏
いつから「おかもっち」? (2):
この頃おかもっちは「あっちゅどん」と呼ばれていたそうです。この最後の「どん」はGFRのドラマー,ドン・ブリューワー(Don Brewer)から取られていたとか。(「男おいどん」の「どん」じゃないのね・・・)
ただ,当時クロスオーバーが流行って来た頃だったため,実際には,徐々にGFR等HRから,デヴィッド・ガリバルディやスティーヴ・ガッドらをよく聴くようになっていたそう。この「はげ山の一夜」のドラムもスティーヴ・ガッド(この曲はBob James One(アルバム)に収録)

 
ルーディメンツってなんだ?:
ドラムのリズム練習の基本で,ピアノでいうと指遣いの練習みたいなもの。リズム譜にr/l で左右どちらの腕を使って打つかが書いてある。「シングル・ストローク・ロール」,等左右交互に打つものから,「シングル・パラディドル・ディドル」のように,「右・左・右・右・左・左」のようなややっこしいものまでいろいろある。

よく聴いたアーティスト・アルバム
  • タワー・オブ・パワー(Tower of Power)Tower of Power(1973), Back to Oakland (1974)
  • アレサ・フランクリン(Aretha Franklin)
  • パット・メセニー(Pat Metheny) Bright Size Life (1975)
    ※ジャコ・パストリアス(Jaco Pastorius), ボブ・モーゼズ(Bob Moses) が参加したソロアルバム
  • ボズ・スキャッグス(Boz Scaggs)

影響を受けたアーティスト
  • バーナード・パーディ(Bernard Purdie)
  • デヴィッド・ガリバルディ(David Garibaldi: Tower of Powerのドラマー)
  • スティーヴ・ガッド(Steve Gadd)
  • マイルス・デイヴィス(Miles Davis) etc.

当時のエピソード(3):
この頃,松下誠(Vo.,G),山本恭司(G),エレクトーンをやっていた女の子と,YESのコピーをやっていたそうです。この頃のまこっちゃんは「いつもマフラーをしているナイーヴな青年」だったとか。「それにまだ痩せてたしね。」(おかもっち談)
1975 1975.4. 2年に進級
1975.7.26 浜田省吾に誘われ,日比谷野音(日比谷野外音楽堂)での愛奴のライブにドラマーとして参加→プロ・デビュー!
その後,学校に戻ろうとしたところ,浜田省吾にこのまま一緒にやろうと誘われ,青山徹には「ちょっと(ドラムの傾向が)違うんじゃないか?」と言われたものの(笑),結局残ることになり,学校を中退することに。
当時のエピソード(4):
愛奴のメンバーは元々全員広島出身。それで,同級生の面谷(おもたに)誠二さん(現在ハワイアン・ギタリスト)と一緒によく愛奴のライブを見に行ってたそうです。その後,ヤマハネム音楽院出身の青山徹さん(G)が,同じく愛奴のメンバーだった浜田省吾さんと,ちょうど練習中に遊びに来て,ドラムを叩いてみないか?というような話になったようです。浜田さんは当時愛奴でボーカル兼ドラマーでしたが,ドラムは本来は専門ではなかったこともあり,ボーカルに専念したいという希望があったのだとか。
サマーロックカーニバル(日比谷野外音楽堂)での他の出演者:
  • ザ・テンプターズ(『エメラルドの伝説』等)
  • 鈴木茂&ハックル・バック
  • 頭脳警察
  • シュガー・ベイブ
  • 上田正樹&サウス・トゥ・サウス
  • 金子マリ&バックス・バニー

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Aido --愛奴時代--

1975 1975.8. 愛奴にドラマーとして正式加入,プロ活動開始
ドラムセット:
黒のラディック(Ludwig)

愛奴(おかもっちの加入当時):
浜田 省吾: Percussion, Vocal
…1975年9月脱退
青山  徹: Guitar, Vocal
町支 寛二: Guitar, Vocal
山崎 貴生: Keyboards, Vocal
高橋 信彦: Bass
岡本 郭男: Drums, Vocal
(当時は「岡本あつお」表記)
1976 1976? 浜田省吾の1st ソロ・アルバム『生まれたところを遠く離れて』 にドラマーとして全曲参加 (初スタジオ・セッション・ワーク)→事実上のスタジオ・デビュー
浜田省吾さんのソロで初レコーディングを体験したおかもっち,このときの演奏は「ひどかった!!!」 (笑) このタイトル曲は,浜田さんが歌詞にとても思い入れがあるそうで,後にリメイクされたそうです。

1976.4.21 [Studio] 浜田省吾『生まれたところを遠く離れて』(アルバム) リリース 1976.4.28−8.11 愛奴 セカンド・アルバム レコーディング 1976.9.21 [Band] 『LOVE IN CITY』(愛奴 セカンド・アルバム)/ 『朝からごきげん/旅立ちの朝』 (シングル) リリース →おかもっちのデビュー作!
当時のエピソード(5):
この頃,よく,「センチメンタル・シティ・ロマンス」 と仕事が一緒になったそうで,岡本さん以外1広島出身の愛奴と,名古屋出身のセンチメンタル・シティ・ロマンスとで,よく「広島カープ vs. 中日ドラゴンズ」で盛り上がっていたそうです。そういえば昭和49年はドラゴンズが,昭和50年には広島カープがリーグ優勝を果たしました。岡本さんは「巨人ファンだったけどいちばん年下だったので黙ってた」そうです。(笑)

1976.12 愛奴 解散
当時のエピソード(6):
解散のときはお金が全然なかったので,皆で機材を売ったそうです。岡本さんの黒のラディックもここで売却されました。まだこの頃は車もなかったそうです
(って,どうやってドラム運んでたの?? タクシー? リアカー???)
影響を受けたアーティスト
  • スティーヴ・ガッド(Steve Gadd)(引き続き)
  • デヴィッド・ガリバルディ(David Garibaldi)(引き続き)
  • ハーヴィー・メイスン(Harvey Maison)

よく聴いていたアーティスト
  • ボブ・ジェイムス(Bob James)(P)
  • 24丁目バンド(The 24th Street Band) (Dr. Steve Jordan)
  • スティーヴ・カーン(Steve Khan)(G)
  • トム・スコット(Tom Scott)(SAX) etc.
ドラマーをチェックしてレコードを買い漁っていたそうです。

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Session Days(1) --セッション・プレイヤー時代(1)--
愛奴(AIDO)解散後〜スペクトラム結成以前

1977 1977 -- 愛奴解散後(当時20歳),声をかけてくれる人がいたので,結局そのままスタジオ入り。コマーシャル等の仕事をする傍ら,ライブ・サポート等も。
ドラムセット:
YAMAHA レコーディング・カスタム

よく聴いていたアーティスト等
  • ラリー・カールトン(Larry Carlton)
  • リー・リトナー(Lee Ritenour)
  • ボズ・スキャッグス(Boz Scaggs) 他
  • スティーリー・ダン(Steely Dan) 『彩“Aja”』 『ガウチョ(Gaucho)』

ドラムセット:
ロジャース(Rogers) BIG R のついたパワートーン・シリーズ(Power Tone Series)

1978 1978?[Studio] 松山千春 『こんな夜は』(アルバム), 『季節の中で/ 青春II』(シングル) リリース 
当時のエピソード(7):
この頃,ヤマハネム音楽院時代の年上の同級生に連れられて釣り初体験。最初は全然取れなかったそうですが,2度目に千葉に行ったときに大量に釣れ,それ以降釣りにハマったそうです。ちなみに獲物はクロダイ。

1977-9(不明) [Live] 布施 明 (含ハワイ公演)
[Live] チェリッシュ  1978.8.8 [Live] 松山千春:『デビュー1周年コンサート 千春 IN 足寄』1万人コンサート
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Spectrum --スペクトラム時代--

1979 1979 セッション中に渡辺直樹に誘われ,スペクトラムに加入

当時のエピソード(8):
スタジオ・セッションで一緒になった直樹さんに「バンドを組んでこういう感じ音楽をやりたいんだけど,誰かいいドラマーいない?」と訊かれ,すぐに「僕は?」と立候補したおかもっち,このとき聴いたデモテープはまだホーンが入っておらず,結構好みの音楽だったから,とAB'Sのライブで発言。・・・ということは,ホーンが既に入ってたら,スペクトラムの超強力黄金リズム・セクションは存在しなかった?

1979.5.12- スペクトラムのファースト・アルバム録音のためLAへ。 黄色のスリンガーランド(Slingerland)のカッタウェイ・コンサート・タム(Cut-away Concert Toms)と,同じフィニッシュの12ラグのスネア・ドラムを衝動買いしたものの,エンジニアの手に負えなかったため,結局ハウスドラムで演奏する羽目になる。
1979.7.22 '80S JAM OVER JAPAN’(西武球場)に出演 (ドラムセット:Slingerland)
1979.8.25 [Band] 『スペクトラム』(ファースト・アルバム) リリース
『トマト・イッパツ/ロリータ』(シングル) リリース

当時のエピソード(9):
スペクトラム・・・というと,アース・ウインド&ファイア(Earth Wind & Fire) と シカゴ(Chicago)の影響を受けている・・・という印象があります。実際,岡本さんはEW&Fを,直樹さんは,ピーター・セテラ(Peter Cetera)がベース・ボーカルだったとこともあって,シカゴを聴いていたそうです。

1979.10.28-11.13 デビュー・コンサート"SPECTRUM SHOCK"ツアー
1979.11.1 [Band]『イン・ザ・スペース/ ACT-SHOW』(シングル) リリース
スペクトラム:
新田 一郎:Trumpet, Vocal
兼崎 順一: Trumpet
吉田 俊之: Trombone
渡辺 直樹: Bass, Vocal
西  慎嗣: Guitar, Vocal
奥  慶一: Keyboards
岡本 郭男: Drums
今野 拓郎: Percussion ・・・サポートの菅原由紀から交替・ 『Optical Sunrise/スペクトラム 2』 レコーディング前に正式加入

ロスで衝動買いしたドラムセット:
黄色のスリンガーランド(Slingerland) カッタウェイ・コンサート・タムズ(Cut-Away Style Concert Toms),
スリンガーランド200シリーズスネア・ドラム(Slingerland 200 Series Snare Drum 202G (14"x6.5"))
※ファースト・アルバムのレコーディングでは,スタジオのハウスドラムを使用

結局スリンガー・ランドのセットは,西武球場のコンサートで使用したものの,「音がちょっと・・・」ということで,結局スネア以外は売っちゃたそうです。
その後はそれまで愛用していたRogersのセットを使用。
ドラムセット:
ロジャース(Rogers) BIG R のついたパワートーン・シリーズ(Power Tone Series)
Snare Drums:Rogers(Wood, Metal), Gretsch,Slingerland;Cymbals:A Zildijan

よく聴いていたアーティスト等
  • スティーリー・ダン(Steely Dan) 『彩“Aja”』 『ガウチョ(Gaucho)』
  • ウェザー・リポート(Weather Report) 他
引き続きクロスオーバーもの,当時流行っていたものを聞いてたそうです。

1980 1980.3.5 [Band] 『OPTICAL SUNRISE/スペクトラム 2 』(セカンド・アルバム)/
『F・L・Y/ミーチャン・GOING・TO・THE・HOIKUEN』(シングル)リリース

1980.4.4-5.30 SPECTRUM SPRING TOUR "OPTICAL SUNRISE"
1980.5.25 [Studio] 山本恭司 『HORIZON』(アルバム)リリース
※渡辺直樹も参加
この頃は多忙で,他には殆どスタジオ・ミュージシャンとしてのお仕事はやっていないのだとか。てなわけで,これはこの頃のおかもっちの貴重なスタジオ・ワーク作品ということになります。^^

1980.6.5 [Band]『SUNRISE/SONG』(シングル)リリース
1980.7.27 '80S JAM OVER JAPAN 出演
1980.8.16-17.19 JAPAN JAM(横浜スタジアム・六甲山人工スキー場)出演 1980.11.8-12.25 "TIME BREAK" TOUR 1980.11.21 [Band]『TIME BREAK/スペクトラム 3』(サード・アルバム) リリース
『夜明け(アルバ)/やすらぎ(LOVE FOR YOU)』(シングル) リリース
1981 1981.6.21 [Band]『SECOND NAVIGATION/スペクトラム 4』(アルバム) リリース
『Night Night Knight/Paradise』(シングル) リリース
1981.6.25−7.5 "SECOND NAVIGATION" TOUR 1981.9.5 [Band]『SPECTRUM BRASSBAND CLUB/スペクトラム 5 』(アルバム)リリース 1981.9.17 "哀しきブラスバンドクラブ” スペクトラム・ラスト・コンサート (大阪フェスティバルホール)
1981.9.22 "世紀の哀しきブラスバンドクラブ" スペクトラム・ファイナルコンサート(日本武道館)
スペクトラム 解散

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