Peanuts FAQ: 7. 舞台劇 (1) 『君はいい人,チャーリー・ブラウン』

原著者: デリック・バング(Derrick Bang)
和訳:PFJW(Peanuts FAQ Japanese Workshop)

Last Update: Oct.1,08

7.1) 『君はいい人,チャーリー・ブラウン (You're a Good Man, Charlie Brown)』

(訳: Pea)

ピーナッツを素材にした舞台演劇のことはもう知ってるよって思ってらっしゃる?

ホントに知ってる?

かなり自信がおありのようですが...

女性シンガー兼コメディアンであるケイ・バラード ( Kaye Ballard : 近頃では 1960 年代後半のテレビ番組 『義母』 に 2 年間主演していた事でおそらく一番有名) は,60 年代初期のナイト・クラブ・ショーでピーナッツをテーマにしたギャグをレパートリーに入れてやっておりました。これをコロンビア・レコードが LP 化したのですが,実際にはとてもヒットと呼べるものとはなりませんでした。

1966 年の 12 月に MGM の 「ライオン」 レーベルが,はじめての今日使われている意味での 「コンセプト・アルバム」 と言うべきレコードの一つをリリースしました。『君はいい人,チャーリー・ブラウン』 と名付けられたこのレコードは,「チャールズ・シュルツ氏のピーナッツをベースに創られた MGM オリジナルのレコード版ミュージカル」 としてその名が知られました。ここに収められている 10 曲の歌はジェイ・ブラックトン ( Jay Blackton ) により見事にアレンジとオーケストレーションが施され,キャストの目玉として「チャーリー・ブラウン役をオーソン・ビーン」が勤めました。当時ビーンは俳優として名が通っており,また 『私の秘密 (I've Got a Secret )」 や 『もっと聞かせて ( Keep Talking )』 そして 『ところが実は ( To Tell the Truth )』 といったクイズ番組の解答者としてもよく知られておりました。ルーシー役を務めたのはバーバラ・ミンカス( Barbara Minkus 『アメリカ式愛し方』 というテレビ番組に出ていた劇団俳優)。ビル・ヒンナン ( Bill Hinnant ) がスヌーピー役,親戚で無名のクラーク・ゲスナー ( Clark Gesner ) なる人がライナス役をやりました。

ミンカス氏はアーサー・ホワイトロー ( Arthur Whitelaw ) という人物を知っており,彼にこのアルバムを聴かせました。ホワイトロー氏は友人のジーン・パースン氏 ( Gene Person ) にコンタクトして,チャールズ・シュルツ氏からアルバムのコンセプトを広げてもいいとの許可を得た上で,ゲスナー氏を焚き付けて舞台版ミュージカルとしてのアウトラインを書いてみるよう勧めました。才能・運,そして天の恵みが互いに絡み合って,ついにはこの 「コンセプト・アルバム」が誰もがよく知っていて大好きなオフ・ブロードウェイ・ミュージカルのヒットへと変身する --- なんともステキなお話で,これに関係された方々がいつかはそうした事をみんなが読めるように,本になさることをただただ願うばかりです。

がしかし同時に,我々はおそらく誰も知らなかったようなピーナッツ・トリヴィア(なんでも情報)のちょっとしたお勉強をやらされることになります:この MGM のアルバムが出たのは舞台版ミュージカルよりも「後」であった!すなわち,ゲスナー氏の音楽と歌詞は,結局は歌と歌の間を埋めるスキット及び会話と 「結ばれる」 以前にもう既にあった・・・のです。

この MGM のアルバムに収められているのは 10 曲のみですが,曲順は舞台でのものと全く違っています。他に 『ブック・レポート (The Book Report )』『ザ・レッド・バロン (The Red Baron )』『クィーン・ルーシー (Queen Lucy )』 そして 『グリークラブ・リハーサル (The Glee Club Rehearsal )』 の 4 曲があったのですが,アルバムには加えられませんでした。

『きみはいい人,チャーリー・ブラウン』 が 1967 年 3 月 7 日にニューヨーク市のセント・マークスにあるシアター・エイティ ( Theater 80 ) で始まったときには,実に特異なオフ・ブロードウェイ興行となる要素を既に持っておりました。キャストがリハーサルに入ったのが開演初日から遡ること一月足らずの 2 月 10 日のことで,台本も完成していなかったのです。後に公表されたように,このショー自体も開演されるまではなかなか 「固まり」 ませんでした。『マッシュ (M.A.S.H.)』[訳注: 野戦病院を舞台にした軍隊コメディー] の映画版とテレビ版の両方でレイダー・オライリー ( Radar O'Reilly ) 役として後に名をはせたゲーリー・ブルゴフ ( Gary Burghoff ) がチャーリー・ブラウンを演じました。他のキャストは,スヌーピー役のビル・ヒンナン(やっぱり彼しかない),ルーシーにリーバ・ローズ ( Reva Rose ),ライナス役はボブ・バラバン ( Bob Balaban : 数ある作品の中でも例えば 『スクープ(副題: 悪意の不在)』 や 『未知との遭遇』 の俳優兼監督),シュローダーはスキップ・ヒンナン ( Skip Hinnant ),そしてパティはカレン・ジョンソン ( Karen Johnson ) がそれぞれ演じました。

このミュージカルはニューヨークで 4 年間続き,公演の数は 1597 回に及びました。また,シカゴ,ロサンジェルス,ワシントン DC,ロンドン,そしてサンフランシスコなどの都市においては,野球のチームよろしく 9 つの大企業を各守備位置に(つまり後援団体に)着けました。その結果,このミュージカルはアメリカの演劇史上最多の公演回数を記録しました。(間抜けにしては上出来じゃないですか,そう思いませんか?)

ホワイトローとパースンは最初の 2 年間に米国内で 15 本,海外で 6 本か 7 本の作品を 「楽々と」 プロデュースしました。

この劇は 1967 年にランダム・ハウス社 ( Random House ) から本として刊行されましたが,そのちっちゃなハードカバーの体裁は,例えば『スヌーピーとレッド・バロン ( Snoopy and the Red Baron )』『りんご畑を約束した訳じゃないよ ( I Never Promised You an Apple Orchard )』[訳注: ポップソングの "I Never Promised You a Rose Garden" をもじったもの] その他のホルト・ラインハート &ウィンストン社( Holt, Rinehart & Winston )から出ている本とよく似ておりました。ミュージシャンで作詞家でもあるクラーク・ゲスナー ( Clark Gesner ) は前書きでこの本は「...10 の歌,2 〜 3 の長場面,2 人のプロデューサー,小さな劇場が一つ,中肉中背の出演者達 6 人,加えて監督,助監督脚本家,音楽監督,照明デザイナー,舞台装置デザイナーが各 1 名,そして 10 年分にも相当するチャールズ・シュルツ氏の絵」から生まれてきたものであると紹介している。

ゲスナーが注意深く仕分けをしたリストを作ったにもかかわらず,実際に本に載った歌は 13 曲,そしてそのうちの 12 曲がオリジナル・サウンドトラックの LP (モノラル MGM 1E-9,ステレオ S1E-9) に収められました。劇中で使われた 13 番目の曲 「グリークラブ・リハーサル」 は,このアルバムでは 「クイーン・ルーシー」 に変えられています。この曲はバックグラウンド・テーマ曲となっているのですが,実際には第一幕でのライナスとルーシーのやりとりのホンのいくつかがその内容となっているものです。

『グリークラブ・リハーサル』 はタムズ-ウィットマーク・ミュージック・ライブラリ社( Tams-Witmark Music Library *)により制作され,上演許可を得て劇中で使われはしましたが,(少なくとも 1999 年のブロードウェイ・リバイバルまでは)サウンドトラック版の LP には加えられませんでした(詳しくは後述)。これは誠に残念な事です。というのもこれは劇中では最もこっけいな部分の一つになるもので,子供達が心を打つようなアレンジの 『峠の我が家 ( Home on the Range )』 を歌いながらも仲間内で口げんか --- そもそもの始まりは一本の鉛筆からなのですが --- を始めるといった場面なのです。(* Tams-Witmark Music Library : プロ・アマ含めてどんな劇団グループでもプロデュースを手がけたい演劇がある時にコンタクトする会社。)

ピックウィック・レコード社 ( Pickwick Records ) はスタジオ版キャストで LP を作りました(モノ PC-3069,ステレオ SPC-3.69)。音楽は「バグズ」バウワー( "Bugs" Bower ) が担当し,キャストにはロン・マーシャル( Ron Marshall : 当時子供向けアルバムのレコーディングで知られていました)やコニー・ジメット( Connie Zimet : 色々ある中でも 『ガイズ・アンド・ドールズ( Guys & Dolls ) 』 と 『南太平洋( South Pacific )』 に出演)などがおりました。

このアルバムのジャケットはなかなか面白いものです。というのも,描かれているのは --- 登場人物や出演者ではなくて --- チャーリー・ブラウンと彼の仲間たちにとって,飛び切り大切な品物だからです。すなわち,毛布・ご飯皿・ピアノ・凧・犬小屋・野球道具,そしてロリポップ(棒付きキャンディー!)など。ライナー・ノーツにはとってもかわいらしい事が書いてあります。例えば,凧については:

これはチャーリー・ブラウンの凧。彼がこの凧をあげはじめたのは何年も前の事 --- その,つまり,あげようと努力をここ何年も続けてるって意味です。凧の方は地面から離れたがらないようで,チャーリー・ブラウンは必死になって空に飛ばそうとします。この長く厳しい戦いにどちらが勝ったか --- 答えは A 面の 5 曲目をお聴きください。

今回のアルバムには元々の MGM アルバム・ミュージカルでフィーチャーされた 10 曲が収められており,演奏自体は先の 2 つのレコーディングには及ばないものの,中古レコード店で探してみる価値はあります。

ジメットはこのアルバムの制作に携わった出演者の一人で,1999 年の 7 月にたまたまこの 「ピーナッツ FAQ 」 を見つけ,「当事者の一人」 として次のような情報を提供してくれました。

『あのアルバムに携わった全員が基本的にはスタジオ/ CM ソング・ミュージシャンでした。ビル・ディーン( Bill Dean ライナス役) は,かつてはメトロポリタン・オペラの歌手でしたが,他の皆と同じようにお金になる CM の分野で経済的な独立を確保しておりました。ジム・キャンベル( Jim Campbell スヌーピー役) は,60 年代の終わりから 70 年代全般,そして 80 年代初頭まで CM ソングの分野では最も知られている一人でした。私 (ジメット) も CM ソングの歌手兼女優でしたし,それまでは 8 歳の時からプロとして舞台に立っておりましたが,スタジオ・ミュージシャンとしての仕事の環境が私には一番合っていると思いました。ロン・マーシャルは当時子供向けアルバムの大黒柱という存在でした。私たちは (他のスタジオ・シンガー達の補強を受けて) 一つの劇団として力を合わせ映画のサウンド・トラックに取り組んだり,ほぼ全てのメジャーなレーベルでバック・アップ・ミュージシャンを務めたが,その裏で 60 年代から 80 年代のかかりまでニューヨークで制作された主要な CM ソングを手がけたり,ピーターパンのような子供向けのものもやったりもしました --- そのほとんどがピックウィック社とその関連会社の仕事でした。
『ご存じないと思いますが,このアルバムの演奏はほぼ初見で行われています。実際それぞれの曲に対して,音あわせに 10 分かそこらもらっただけで録音に入りました。私たちは文字どおり会社から押し付けられた苦役を苦労してかたずけました。というのも,楽譜が発売されようとしていたのですが,ピックウィク社がこの録音のためだけに 10 曲分のコピーをするお金を出してくれるなんで全く期待できなかったからです。一つのページに,今まで見たことも無いような小さな音符がずらっと並んでいたんですよ。
『おまけに,私たちの誰一人としてショーを見たことが無かったし,他のアルバムを聴いたことも無かったのです。ただ,私はバーバラ・ミンカスとは知り合いでしたし,彼女はオースン( Orson )やスキップ( Skip )と一緒に確か最初のスタジオ・アルバムとなるものに参加していたのは知っていました。
『クラーク・ゲスナーは,私の記憶では 2 日間連続で午後に行われたレコーディング全てに立ち会いました。ところで,スタジオは西 42 丁目にあり,その通りの先には映画館があって,当時 『ムチに口づけ( Kiss My Whip )』 なる(忘れようにも忘れられないタイトルの)映画をやっていたのを覚えています。アルバムのプロデュースにはクラークと 「バグズ」 バウワーが協力してあたりました。
『レコーディングは楽しかったです。ジム・キャンベルはスヌーピー役をやっているのですが,見ていてなかなか楽しいものでした。前のレコーディングに比べてそれほどいい出来ではありませんでしたが,みんな実にのびのびとやっておりました(そしてみんな楽譜の初見演奏が実にうまかったのです)。
『スタジオでいっしょにやった仲間たちが今どこで何をしているのかは分りません。私はいまだに 「業界」 におりますが,今ではナレーションの仕事を主に手がけており,フロリダ州南部からは活動拠点を移しております。』
(このアルバムを聞く機会を与えてくれたケン・リック( Ken Lieck )にも感謝いたします。)

誰もがよく知っているようなごく普通のバージョンのこの劇が,ホールマーク社(Hallmark)の 「名声の殿堂」 と言うテレビの特番として放映されました。これもまたホワイトローとパースンのプロデュースによるものでした。ここでチャーリー・ブラウンとして主役を務めたのがウェンデル・バートン(Wendell Burton)。その他のキャストとしては,ルーシー役にルビー・パールスン(Ruby Perrson),ライナスを演じるのがバリー・リビングストン(Barry Livingston:テレビ番組 『三人の息子達(My Three Sons)』 のアーニー役),シュローダー役がマーク・モンゴメリ(Mark Montgomery),パティ役をノエル・マトロフスキ(Noelle Matlovsky),そしてビル・ヒンナンがまたもやスヌーピー役を務めました。(全くのハマリ役ですね。)このアルバムには 15 曲がカットされていますが,10 曲は元々の MGM アルバム・ミュージカルから,そしてそれに加えて 『ブック・レポート(The Book Report)』『レッド・バロン(The Red Baron)』,更に,タイトルソング,序曲,暗転の時の曲が繰り返して収められています。これは 1973 年にアトランティック・レコードからリリースされました(SD-7252)。

キッド・スタッフ・レコード社が 『きみはのいい人 [原文通り],チャーリー・ブラウン』(Songs from YOUR A GOOD MAN, CHARLIE BROWN )と言うアルバムをリリースしましたが,これについては言わぬが華...でしょう。このキッド・スタッフ・レパートリ社のボーカル・タレントは同社の言語運用力のレベルとほぼ同じくらい,と言えば十分かと思います。ホワイトローはこの同じショーのデンマーク語及びフランス語版のレコーディングに言及しておりますが,そうしたアルバムに関しての情報はありません。

劇自体の版権はタムズ・ウィットマーク社が持っておりますが,ボーカル部分の楽譜はハル・レオナルド社(Hal Leonard Corporation)を通じて MPL コミュニケーション社(MPL Communications)から発売されております。この 48 ページの楽譜本は(前述の MGM スタジオ版キャストのアルバムの所でも触れた)最もよく知られている 10 曲の歌詞と楽譜,それに 3 ページにわたるモノクロの写真を載せております。

ところが,まことにじれったいことに,現在のところこうしたアルバムのどれ一つとして CD になっているものはないのです!一番最初のオフ・ブロードウェイ版キャストによるレコーディングは一時 CD としてリリースされたこともありました(Polydor 820 262-2 Y-1)が,すぐに廃盤となっています。「アメリカ演劇史上最多上演ミュージカル」 とは言え,現代テクノロジーの波には乗っかりきれていないようです。

しかしながら,こうした状況も 1999 年のブロードウェイ・リバイバルのおかげで,すっかり変わってきました。上記の CD 版は現在入手可能となっており (RCA 09026-63384-2),我々ファンはついにこのショーの少なくとも一つを CD で楽しめるわけです。とりわけすばらしいことには,これには一番最初の 10 曲に加え,「ブック・レポート」と例の何がなんだかよく判らない『グリークラブ・リハーサル』,それに音楽監督のアンドリュー・リッパー (Andrew Lippa) が書いた新曲2曲: 『ベートーベン・ディ(Beethoven Day )』(シュローダーのための優れた傑作) と 『私の新人生哲学』 (サリーにささげた 「大受けナンバー」 ;このバージョンではパティの代わりを努めている)が収録されています。このリバイバル版では 『レッド・バロン』 は姿を消し,ゲスナーのオリジナルな要素は削られたうえに,歌の多くは新たに編曲し直されましたが,それでも私たちを益々好きにさせたショーに変わりはありません。

残念ながらゲスナーには新たな演劇のヒットが出ませんでした。ブロードウェイをねらった彼の唯一の作品 -- 『モーリス・E・ホールの輝ける栄光(The Utter Glory of Morris E. Hall )』 -- は 1979 年の 5 月,第一回目の公演を最後に,終演の幕を下ろしてしまいました。


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