Peanuts FAQ: 2. シュルツ氏関連 (3) リル・フォークス
原著者: デリック・バング(Derrick Bang)
和訳:PFJW(Peanuts FAQ Japanese Workshop)
2.3) シュルツ氏がピーナッツの前身であるコミック 『リル・フォークス (Li'l Folks )』を描き始めたのはいつごろですか?
(訳:Pea)(更新: Charn)
いわゆる数多ある「成功物語」と同じように, シュルツ氏は長年にわたり懸命に描き続け, その結果ピーナッツという名と栄誉を勝ち得ました。
シュルツ氏はいろんな構想を実験的に試していますが,この『リル・フォークス』は特に注目に値するものです。
それは,1947年6月8日のミネアポリス・トリビューン紙(the Minneapolis Tribune) に,日曜版の1コママンガとして初登場し,2週間分,計2回掲載され,1947年6月15日で姿を消します。明らかに,シュルツ氏と彼のトリビューン紙の担当者との間に何らかの行き違いがあったのですが,今となっては詳細はわかりません。しかし,シュルツ氏はすぐに立ち直り,自身の郷里の町の新聞であるセント・ポール・パイオニア・プレス紙 (St. Paul Pioneer Press)と契約,6月22日に連載が開始しました。それは,女性欄日曜連載漫画のひとつとして,求人広告の数ページ後,最終ページに掲載されました。『リル・フォークス』は,1つのコマに,3つか4つのマンガが入っており,すべて子供が主人公でした。登場人物の中には,パティという名の女の子,チャーリー・ブラウンという名の男の子,スヌーピーにとてもよく似た犬,それにベートーベンを崇拝する若きピアノ学生がいました。
『リル・フォークス』はセント・ポール・パイオニア・プレス紙に2年以上連載されました。1949年末,シュルツ氏は契約条件の改善を求め,編集長に毎日の掲載か,紙面上の掲載場所の改善か,もしくは ― これらの極めて道理にかなった要望がかなわないなら ― 少しばかりの原稿料の値上げを願い出ました。まるでチャーリー・ブラウンをあしらうように編集長はこの願い出を断り,シュルツ氏は辞めざるをえないと思いました。1950年1月22日でリル・フォークスは終了します。
このマンガは,2004年2月21日にチャールズ・M・シュルツ・ミュージアム(Charles M. Schulz Museum) から発売された本の表題となりました。
その本 『チャールズ・M・シュルツ:リル・ビギニング(Charles M. Schulz: Li'l Beginnings)』は,ジーン・シュルツ(Jean Schulz)氏による前書きと,ピーナッツ・コレクター・クラブ(PCC)のウェブ・マスターである私,デリック・バング(Derrick Bang)の注釈・編集コメント及び序文を配し,シュルツ氏が彼の郷里の新聞であるセント・パイオニア・プレス紙のために1947年6月22日から1950年1月22日までに描いた全135のコミックを収録しています。このコミックの大多数が本の形で出版されたのはこれがまさに初めてのことです。
『リル・フォークス』のコミックは,シュルツ氏の製作における発達初期を解明するだけでなく,ベートーベンが大好きな身なりの良い若者や,スヌーピーととてもよく似た犬や,チャーリー・ブラウンという名前の男の子ら,後にピーナッツで再登場するキャラクターやテーマが使われているという点でも注目すべきものです。
298ページに及ぶこの本は,シュルツ氏がカトリックのコミック本である『トピックス(Topix)』のために製作した極初期のマンガである『ジャスト・キープ・ラフィング(Just Keep Laughing)』を2本,ミネアポリス・トリビューン紙に掲載されセント・パイオニア・プレス紙での連載を予期させたスパーキー(Sparky)の『リル・フォークス』を2本,1940年代後半にサタデイ・イブニング・ポスト紙 (Saturday Evening Post) に発表された1コママンガの前例も収録しています。(次の質問を見てください。)
『チャールズ・M・シュルツ:リル・ビギニング』は、シュルツ・ミュージアムのギフトショップとウェブサイト(www.schulzmuseum.org) でのみ入手できます。
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